これまでの歩み
昭和32年 | 4月 | 初代美谷島邦雄(36歳)日本綜合建設株式会社設立。資本金200万円 本社:長野市西鶴賀町。社員12名と小型さく井機2台、中古トラック1台でのスタート |
昭和32年 | 水道法施行。農村部の生活環境改善を目的に簡易水道を導入、水源開発が進む | |
昭和33年 | 3月 | 地すべり等防止法施行。地すべり対策工事が民間に委託される、ボーリング機械を購入し参画体制を整える |
昭和34年 | 7月 | 資本金300万円に増資 |
昭和34年 | 11月 | 長野市中御所395番地に本社移転 |
昭和37年 | 7月 | 地すべり対策事業本格化 民間発注され当社も多くを受注、茶臼山地すべりで深部地下水排除に深井戸施工 県庁舎建替えに伴う敷地調査ボーリングを受注、地盤調査業務の拡大 |
昭和38年 | 鉄道や道路を横断する推進工法へ参画 | |
昭和41年 | 農地改革に伴い、ため池グラウト工事に参画 | |
昭和42年 | 8月 | 松本出張所開所(松本市元町) |
昭和44年 | 3月 | 資本金800万円に増資 |
昭和44年 | 3月 | 松本出張所移転(松本市蟻ケ崎) |
昭和46年 | 4月 | 松本出張所現在地に移転(松本市島内東方5037-1番地) |
昭和47年 | 3月 | 資本金1,300万円に増資 |
昭和48年 | 3月 | 資本金2,000万円に増資 |
昭和48年 | 10月 | 本社新社屋完成(長野市栗田350-5番地) |
昭和50年 | 9月 | 長野県地質ボーリング業協会設立 初代会長 美谷島邦雄 会員数20社 |
昭和51年 | 4月 | 資本金3,000万円に増資 |
昭和52年 | 地すべり対策としてRCセグメント集水井工法を開発、以降全国に普及する | |
昭和53年 | 9月 | 資本金5,000万円に増資 |
昭和54年 | 4月 | 松本出張所を松本支店に改称 |
昭和55年 | 4月 | 資本金7,000万円に増資 |
昭和62年 | 11月 | 創立30周年記念式典挙行 |
昭和63年 | 3月 | RCセグメントの販売を目的とし、新会社「(株)ニッソー」を設立、資本金2,000万円 |
平成9年 | 4月 | 創立40周年 |
8月 | 創設者美谷島邦雄が会長職に退き、美谷島寿一代表取締役社長就任 | |
平成14年 | 4月 | 創立45周年 |
6月 | 創立45周年記念式典挙行、社誌「土竜(もぐら)のたわごと」発刊 | |
平成16年 | 8月 | 美谷島邦雄会長逝去(83歳) |
平成19年 | 4月 | 創立50周、松本支店開所40周年、(株)ニッソー創立20周年 |
平成20年 | 6月 | 創立50周年記念事業、「地すべりとともに歩んだ50年」を発刊 |
平成21年 | 10月 | 本社を長野市若里2丁目15-57移転、新社屋完成 |
平成26年 | 3月 | 松本支店 社屋新築 |
平成29年 | 6月 | 創立60周年記念式典挙行 |